2014年11月03日
「 雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ
南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如來
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩 」
今日、11月03日は文化の日ですが、
私が勝手に決めた“賢治の日”でもあります
日本で最も親しまれてきた詩「雨ニモマケズ」が
書かれた日だからです
1931年11月3日、賢治35歳のときと
詩(メモ)が残された手帳には記されています
誰もが知っている詩ですが、実は
手帳に書かれた最後の七行が捨象されて
流布してきました
詩は作者の意図から自由であり自在になって
構わないと私も考えますが
“ 南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如來
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩”
の部分なくしては法華経に深く帰依した
賢治の祈りであり戒であり覚悟であった
意図が伝わってこないと私は思います
この部分も含めて私は何度となく
この詩(メモ)を読んではそのたびに
賢治の生きる姿勢を学びなおします
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ
南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如來
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩 」
今日、11月03日は文化の日ですが、
私が勝手に決めた“賢治の日”でもあります
日本で最も親しまれてきた詩「雨ニモマケズ」が
書かれた日だからです
1931年11月3日、賢治35歳のときと
詩(メモ)が残された手帳には記されています
誰もが知っている詩ですが、実は
手帳に書かれた最後の七行が捨象されて
流布してきました
詩は作者の意図から自由であり自在になって
構わないと私も考えますが
“ 南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如來
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩”
の部分なくしては法華経に深く帰依した
賢治の祈りであり戒であり覚悟であった
意図が伝わってこないと私は思います
この部分も含めて私は何度となく
この詩(メモ)を読んではそのたびに
賢治の生きる姿勢を学びなおします
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで