2014年09月21日

56b91b11.jpg「 一面の星の下に、棟々(むねむね)が
  黒く列(なら)びました。
  その時童子はふと水の流れる音を
  聞かれました。そしてしばらく考えてから、
  (お父さん、水は夜でも流れるのですか。)
  とお尋ねです。

  須利耶さまは沙漠の向うから昇って来た
  大きな青い星を眺めながらお答えなされます。

  (水は夜でも流れるよ。水は夜でも昼でも、
  平らな所でさえなかったら、
  いつまでもいつまでも流れるのだ。)」

   (『雁の童子』宮沢賢治より )


お彼岸に入って快晴の天気に恵まれています
さて、彼岸は「仏道修行週間」でもあります

ということで仏教の心を秘めて作品を多く残した
宮沢賢治のあまり知られていない作品を
ひとつご紹介します

「雁の童子」

青空文庫にも掲載されている短編小説で
すぐに読み終わるほどの小品です

西域の砂漠を舞台にした物語は主人公が
出会った老巡礼に不思議な物語を聞く
という二重箱構造になっています

心ない須利耶の従兄弟の鉄砲で雁の群れが
殺され一人生き残った雁(雁の童子)が
須利耶夫婦に育てられ最後はまた天(そら)に
召されていくという物語
(竹取物語のような構成と言えばいいでしょうか)

冒頭に引用した文章は
老巡礼が語った物語のなかで
主人公の“雁の童子”と育ての親である
“須利耶”(すりや)が交わす会話です

このような問答が何故なされたか
不思議ですが深く考えさせられます

平らかでない娑婆世界ではいつまでも水は
流れるということ、
平らかな極楽では水は流れないということ
なのでしょうか?心惹かれるやりとりです

やがて、童子と須利耶の別れの日がやってきて
老巡礼の話も終わり主人公との別れもきます

老巡礼への主人公の次のような言葉で物語は
終わります

「 尊いお物語をありがとうございました。
  まことにお互い、ちょっと沙漠のへりの泉で、
  お眼にかかって、ただ一時を、
  一緒に過すごしただけではございますが、
  これもかりそめのことではないと存んじます。
  ほんの通りかかりの二人の旅人とは見えますが、
  実はお互がどんなものかもよくわからない
  のでございます。いずれはもろともに、
  善逝(スガタ)の示された光の道を進み、
  かの無上菩提(むじょうぼだい)に
  至ることでございます。
  それではお別れいたします。さようなら。」

独特な言葉遣い、謎かけがあって賢治の作品は
不思議な魅力がありますね

ちなみに今日9月21日は賢治の命日でもあります

南無(なーむ)



今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字