2014年11月

2014年11月20日

e6d0453f.jpg「 兄貴、今年もはや霜月二十日になり
  すぐに師走、正月になりやすね~ 」

「 そうさなあ
  物入りの年末年始もやってくるしな~ 」

「 あっしなんか、年末年始でなくたって
  財布の中は年がら年中ずっ~と氷河期で
  新年早々の初詣のお賽銭も情けねえが
  小銭しか出せねえんです 」

「 そうか、
  千円札、一万円札は出せねえのか?
  だがな、小銭の方が神さんはよ~く
  願い事を聞いてくれる塩梅になってる
  だから安心しろい 」

「 そうですか、兄貴、
  やっぱり神さんは貧乏人の味方って
  訳なんでやすかね~?」

「 いやなに、
  千円札、万札じゃ、“こうか”がねえんだ 」

「……」


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2014年11月19日

f396dae1.jpg「 凡そ此の凡夫の上人
蟻、螻、犬、鳥、田夫、野人に至るまで
皆是仏性を備え甚深の法を行ずる者也
 賤しみ思うべからず 」
         (明恵上人)



文化の日(11月3日)の前日NHKで放映された

「“奇想の絵巻”誕生のなぞ~鳥獣戯画~」

が面白かった

130年ぶり4年がかりで大修復された鳥獣戯画の
修復後の姿が紹介され、科学の眼で解明された
新発見や謎解きとともに解説されて興味深い番組でした

鳥獣戯画の作者は平安時代後期の
鳥羽僧正と言われてきましたが、実は
そうではなく無名の複数の絵師によって、
ただの戯れ絵として描かれたのではなかろうか
と番組では大胆な推理がなされていました

鳥羽僧正のようなプロの絵師ならば
決して選ばない質の悪い日用品の紙や、
再利用された紙に絵が描かれていたからです

今回初めて知りましたが、絵巻は甲巻、
乙巻、丙巻、丁巻の四巻からなり
全長44㍍もの長さになる大作でした!

甲巻には私たちになじみ深い兎や猿や蛙が、
乙巻には馬や牛、麒麟や象や龍が、
丙巻は別の絵師による動物や人間が、
最後の丁巻には老若男女様々の人々が登場します

この四巻の絵巻に共通するのは、ご存知のように
のびのびとした線と勢いある筆致で動物や
人間が描かれていること、しかも登場人物
(動物)が愉快な仕草や表情で今にも
絵巻から飛び出してきそうなくらい躍動感が
あってイキイキとしていることです

番組の最後はこの不思議な絵巻が何故
800年の長きに渡って守り継がれてきたのか
という謎にも迫っていました

京都栂尾の高山寺は明恵上人が開基の
寺ですが、所蔵の国宝でもある上人の肖像画

「明恵上人樹上坐禅図」

が持ち出され、その図中上人が大きく描かれず
まわりの自然が強調されていること、
また木像「子犬」をいつもそばに置いていた
人となりから、上人が人間だけでなく
何にも執われない自然、生きとし生けるものを
等しく大事にした上人であったことが語られます

この上人の遺志を継いで高山寺が
「鳥獣戯画」を本尊のように守り続けてきた
のではということなのです

これが真相だったのかどうかはさて置き、
名も知らぬ多くの人びとの尽力のお陰で
童心を蘇らせてくれる絵巻を現代の
私たちが見ることが出来るのは幸運です

いま京都で開催中の
「国宝鳥獣戯画と高山寺」展ですが
東京に来たときに観に行くのが今から楽しみです


今日も一日
みんな??
笑って
微笑んで

追記:

冒頭の文章は華厳の教えを弟子らに
語り教えたと言われる明恵上人の言葉です


2014年11月18日

d89b80f9.jpg「 自然界の動物は平均で
  五〇パーセントの余力を残して死んでいる。
  しかし動物園では、
  人間の科学技術で寿命いっぱい活かそうとする 」

  (『人は死ぬとき何を思うのか』より)


昔から言われてきている火事場の馬鹿力、
緊急事態になるとひとが驚くほどの力を
発揮する例は枚挙にいとまありません

そんな力がカラダのどこに隠されているのか
分かりませんが興味深いことだと思います

太陽光がルーペで集められとんでもない
高温になって点火し紙木が燃え出すように
ひとも精神集中することで計り知れない能力が
現れてくるということなのでしょう

しかし、
私たちのカラダは緊急事態や非常事態ばかりを
想定して作られてはいません

山に登るときにだって下山した後でも
少なくとも三分の一の体力を残すのが好ましい
と教えてもらった記憶もあります

何事もぎりぎりまで目一杯使い切るのは
卑しく当てにしないのが上等で大人なのです

ひとのカラダも生命(いのち)も同じです

冒頭に引用した文章は
上野動物園の園長を長く務められた
中川志郎氏の話として青木新門氏が
書いていました

中川氏は動物のことを語っていますが
密かにひとの寿命に警鐘を鳴らしていると
私には読みとれました

現代人の私たちは動物園の動物同様、
いや、それ以上に長く生きていること“だけ”に
固執し執着していると常々思っていたので
溜飲が下がる思いです

淡々として“善く”生きて
淡々として“善く”逝く
という心構えでいたいと私は願います
そうでなければひとは物言わぬ野生動物に
笑われそうな気がします


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで

追記:

俳優の高倉健さんが先週の12月10日に
亡くなっていたと報道が入ってきました

ご冥福をお祈りいたします


2014年11月17日

9f2953b5.jpg寒い季節になると
こんなにも太陽の光が
ありがたいものかと
日溜まりにいるだけで
しみじみ感じてしまう
今日この頃です

朝起きて
太陽にむかって
手をあわせ
拝み
自然とともにあった
昔の人びとの
気持ちが
わかる気がします

わたしも
素直な純粋な
心持ちになって
手をあわせ
太陽を
拝みます

ああ、
なんと気分のいいことか
太陽は
生きとし生ける
すべての上に
さんさんと輝き
カラダを温めてくれ
ココロを温めてくれる
ご馳走です


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで

追記:

たまたま読み返していた本に太陽が
引用されている一節がありました

語っているのはガンジー主義者であった
ヴィノーバ・バーヴェです

「「太陽は、完全に中立で超然としている」
  とヴィノーバは続けた。
  「太陽は管理したり支配したりしない。
  太陽は、ただ太陽だ。
  太陽の光の下で、あるものはためになる本を読み、
  あるものは取るに足らない本を読むかもしれない。
  あるものは隣人を助け、
  あるものは人を殺(あや)めるかもしれない。
  これらの行為の善悪は太陽のせいではない。

     (中略)

  太陽はいつも輝いているが、
  誰も太陽が働いていることには気づかない。
  太陽はすべてのものを行動させる。
  牛に草を食べさせ、鳥を鳴かせ、
  商人に店を開かせ、農民に畑を耕させる。
  だが、もし誰かが起きないで
  カーテンを開けなかったとしても、
  太陽は彼らを無理には起こさない。
  太陽は存在するだけで十分なのだ。
  太陽は完全に、
  行為するよりも存在するという状態にある。
  太陽は光を持っていいるのではない。
  太陽は光そのものだ。
  太陽は善を行うのではない。
  太陽は善そのものだ」

(『君あり、故に我あり』サティッシュ・クマール151頁)


ヴィノーバが説いているのは
あるがままであれということ
自分自身であれということです
物事の結果にこだわらず執着せず
ひたすら自分自身であればよい
と説いているのです

ありのままの“存在”であることが
あらゆる“行為”に優先するのです


2014年11月16日

deedf33f.jpg“ They say there's a tree in the forest
  A tree that will give you a sign
  Come along with me to the sweetheart tree
  Come and carve your name next to mine

  They say if you kiss the right sweetheart
  The one you've been waiting for
  Big blossoms of white will burst into sight
  And your love will be true evermore ”



先月末、身体が動かせないで横になったまま
本を読むことも出来ずに退屈していたとき
たまたまTVで再放映された懐かしの映画

『グレートレース』(1965年)

を観ることができました

ナタリー・ウッドとトニー・カーティス主演の
ニューヨークからパリまでの自動車レースで
主人公と間抜けな悪役がドタバタ劇を展開し
て最後にパリにゴールインはしますが。。。

というストーリーです

森のなかでナタリーがギターを弾きながら歌う

「The Sweetheart Tree」

は当時ワクワクしながら聴いた歌です

不思議にも映像まではっきり覚えている
私にとってはとても懐かしいメロディー
今聴き直しても素朴に幸せになれます

うん十年前の思春期を思い出して
動かぬ身体が幾分軽くなった気がします


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで