2014年10月

2014年10月21日

7c3b54a9.jpg「 日に三箱
  散る山吹は
  江戸の花 」

「 日に三箱
  鼻の上下
  へその下 」


毎月楽しみで出かける寄席で今回は
瀧川鯉朝の「淀五郎」を聴いてきました

仮名手本忠臣蔵をもとにした歌舞伎界の
役者たちが登場して繰り広げる当時の
階級社会や芸の厳しさを扱った噺です

演ずる噺家にとっても大変難しい内容で、
また聴く側にとっても歌舞伎の知識が
必要でもありなかなか大変な噺ですが
鯉朝は無難にこなしていました

その筋書きさて置き、噺の枕に使われる
川柳が江戸の文化を簡潔に表現していて
感心する内容なので冒頭に記してみました


ここに出てくる“箱”は千両箱のことです
“日に三箱”とは一日に三千両の金が
江戸で動くという意味で“山吹”は黄金の小判
“鼻の上”は目のことで歌舞伎の楽しみを
“鼻の下”は口のことで魚河岸の商いを
そして“へその下”はもちろん吉原のことを
表現しています

江戸の人々の楽しみがこれで分かります

鼻の上下ともへその下とも小判とも
まったく縁のない暮らしを私はしていますが
目の玉が飛び出るほど高い歌舞伎に行かず
落語で“歌舞伎”を存分に楽しみながら
江戸の文化を垣間見ることが出来て
ありがたいことです


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2014年10月20日

fbe3e49a.jpg「 お棺を置き、布団をはぐった瞬間、
  一瞬ぞっとした。後ろにいた警察官は
  顔をそむけ後退りじ箒を届けに来る男などは、
  家の外まで飛び出していった。
  無数の蛆(うじ)が肋骨の中で波立つように
  蠢(うごめ)いていたのである。
       (略)
  蛆たちが、捕まるまいと必死に
  逃げているのに気づいた。
  柱をよじ登って逃げようとしているのまでいる。
  蛆も生命なのだ。
  そう思うと蛆たちが光って見えた。」

   (『納棺夫日記』 青木新門 より)



雲ひとつない秋空のもと散歩をしていると
目に飛び込んでくる生命(いのち)の営みは
すべてがそれぞれに美しいと感じられます

このような思いが生じているときの私は私で
普段の私ではなくなったような心持ちにも
なっています

むかし読んで感銘した青木新門の
『納棺夫日記』の一節を思い出しました

映画『おくりびと』の原作に使われた本です
私たちが忌み嫌う蛆虫が光り輝いて見えた
というくだりです

美しさとはいったい何なんだろう?

と考えたくなる問題提起にもなっています

果たして美しさは客体の中にある属性なのか
主体の中に生ずる幻想に過ぎないのか?

難しいことははわかりませんが
美しさは客体だけに属するものでも
主体の執われから生ずるものでもなく
主客が相互に成(じょう)ずるものだろう
という考えに私はいたりました

美しさの種は至るところ遍(あまね)くに在ります

その美しさを引き出すためにも
私は美しさを観ずる力を養わなければなりません


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2014年10月19日

b679d627.jpg「 Twinkle, twinkle, little star,
  How I wonder what you are!
  Up above the world so high,
  Like a diamond in the sky.

  Twinkle, twinkle, little star,
  How I wonder what you are! 」



昨日は、
伊良部島で見た満天の星のことを
思い出しながら戯文を書きました

そのあとで
ある方がブログで紹介なさっていた歌

「Twinkle Lullaby - ThePianoGuys」

をたまたまYouTubeで見つけて聴きました

とてもいい曲で懐かしの「きらきら星」を
元にしたララバイになっていました

聴きながら伊良部島で見た満天の星のことを
もう一度思い浮かべ以前NHKの番組で
視聴したニュージーランドの星降る村のことを
思い出しました

確か、テカポという名前の小さな街があって
その街は地元民が星降る街全体に残して
いこうと様々な工夫を実践している街です

驚いたことに日本人のどなたかが街作りの
中心的な役割を果たしているという内容でも
あったように記憶しています

そのときからいつかテカポを訪れるのが
私の密かな願い事に加わりましたが
よく考えてみたらわざわざ南半球まで
足を伸ばさずとも国内にもそんな場所は
きっとまだ残っているような気がします
それを見つけるのが先です

満天の星を仲間らと静かに眺める悦びは
不夜城の明るさのなかにいるより、きっと、
もっと、ずっと幸せなことではなかろうかと
思います

私たちがこのかけがえない大宇宙の
かけがえない一員だということを
実感できるからです

星といえばもちろん蛍も仲間です、
清らかな水場をなくし、闇まで追い出して
しまった私たちは蛍の住処をなくし
蛍の幻想的な光りをめでる機会を永遠に
失なう方向に突っ走っているかに見えます

そのことをもう一度思い出して
未来の仲間たちのためにも星降る街と
蛍飛ぶ村を末永く残していくお手伝いを
私も微力ながらしたいと思います


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2014年10月18日

94e3ec55.jpg宮古島と伊良部島を結ぶ大橋が
来年早々(2015年1月)に完成するそうです

もう数年前になるでしょうか?

宮古島、伊良部島を旅したことがあります

そのときにはすでに大橋は工事中でしたが
その宮古島と伊良部島が橋で結ばれ
いよいよ一つの島になってしまうのです

人の流れも物の流れも人びとの暮らしも
すっかり変わっていくでしょう

私が見た佐和田の浜も魚垣(ながき)も
下地島空港も通り池も帯岩も渡口の浜も
サトウキビ製糖工場も全てが変わっていく

伊良部島で宿泊した

「びらふや」

という当時あまり人が泊まっていなかった宿が
今では大変な人気のようです

宿で荷をとき、スーパーで揃えた
島カツオ、惣菜セット、豆腐チャンプルを
肴に浜辺で飲んだオリオン・ビール、菊之露、
宮の華は何ものにもかえられぬ美味で
海まるごと空まるごと独占の大晩餐会でした!

宵の明星をながめ闇が増えるにつれ
見えてくる満天の星、天の川がはっきりと
姿を現わしてきたと思ったら、急に星が
動き出す、よく見たらそれは蛍でした!
伊良部島では蛍は星から生まれてくるのです

そんな光景は大橋が出来たあとも残って
いてくれるのでしょうか、残って欲しいなあ

でも、

宮古島から伊良部島へのフェリー切符を買うとき

「切符二枚下さい!」

と窓口でお願いしたら

「人?」

と問い返されるよき時代はきっと確実に
なくなっていきます

ああ、懐かしき宮古島、伊良部島を
また訪れてみたいものです


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで

追記:

写真は熊本出身の宿のお姉さんがわざわざ
車を止めてけもの道を分け入り断崖絶壁まで
案内して見せてくれた珊瑚礁の海です

驚きのあまり
私はしばらく口もきけないまま眺めていました


2014年10月17日

ecf69c2e.jpg上野の森美術館で開催されている

「ボストン美術館浮世絵名品展 北斎」

に出かけてきました

週日だから空いているだろうと思っていたら
豈(あに)図らんや大勢の人出で驚きました

「富嶽三十六景」

のシリーズの実物をが鑑賞するのは
初めてでしたが圧倒されてしまいました

たかだか数十㌢ほどの浮世絵の中に
細密かつ大胆な構図をしくみ富士山を配し
動的で雄大な世界を北斎は描き出しています

そこには江戸時代の暮らしや人々の息遣いが
感じられる物語があります

しかも36すべての作品のそれぞれが全く
異なる世界を北斎が創り出しているの見たら
驚きを超えただ唖然としてしまうばかりです

(参考までに「富嶽三十六景」はすべて
北斎が70歳になってからの作品です!)

これも初めて見ることになった

「諸国瀧廻り」

という各地の名瀑の水を様々に表現した
作品群にも新鮮な印象と感銘を受けました
天才レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた
さまざまの流水や渦の写実的表現とは異る
独特の様式美が感じられます

今回は

「北斎漫画」

の展示がなかったのが残念でしたが
卒寿(90歳)で他界した多作で変人でも
あった天才絵師葛飾北斎が日本に
生まれたことを私は誇りに思います


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで

追記:

若き北斎が春朗という名前で作品を
作っていた頃の錦絵に

「浦島龍宮入之図」

という作品がありました

西欧風の遠近法を取り入れた錦絵ですが
登場人物がそれぞれ亀や魚たちの面を
頭にかぶっている様子が描かれていて
微笑ましく印象に残りました