2014年09月

2014年09月25日

bea4cab8.jpg「 幸せは、いつも三月花の頃
  お前十九で、わしゃ二十歳(はたち)
  死なぬ子三人、親孝行
  使って減らぬ金百両
  死んでも命があるように 」


こんな愉快で面白い古歌があります

暑さ寒さもなく花が咲く季節に一年中暮らし
夫婦はいつまでも若くて仲睦まじく
死なずに育った子供は三人とも大の親孝行
湯水のように使ってもお金は減らず
死ぬこともなくいつまでも生き長らえる

現代人の私たちが必死に求めてきたものの
すべてがここにあり、その多くがすでに
実現しているようにも思えます

しかし、
私たちには満たされた幸福感もあまりなく
いまだに不満不安の中で暮らしているように
私には見えます

ということは、
この古歌に読まれている光景はどうやら
私たちが願ってきた極楽ではなさそうです

土曜日(9月20日)から始まった秋彼岸も
明日(9月26日)にはもう明けます

生きている意味、生かされている意味、
幸福とは何か、この機会に独り省みながら
善く生きるとかは何か、根元から
もう一度考えてみたいと思います

南無(なーむ)


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2014年09月24日

ed264a94.jpg
3ef24378.jpg
江戸時代末期に起きた生麦事件で有名な
生麦にキリンビールのビール工場があります

関東大震災(1923)後ここ生麦に工場を再建した
キリンビールは創業百年を超える日本で最も古い
ビール製造会社だそうです

酒は
日本酒が一番だと勝手に信じている私ですが
野次馬根性ならぬ麒麟根性で生麦のキリンビール
工場まで今回は出かけてきました

製造現場を見学するのは小学生に戻ったような
気分でなんだかウキウキとても楽しかったなあ

見学後の試飲会で飲んだ「キリン一番搾り」は
見たばかりの製造過程を思い浮かべながら
有り難くお代わりまでしてしっかり飲みます

敷地内には
オリーブの木、アメリカデイゴの赤い花などが
目につき、ホップらしきものも植えられています

帰りにはビール王と呼ばれるガンブリヌスにも
ご挨拶をして参りました

大きな声では言えませんが、有名な物語が
語り継がれている割にはただの酔っぱらいの
デブのおじさんにしか私には見えませんでした

人は見かけによらぬものです


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで

余録:

本当は生麦くんだりまで工場見学に行くのが
一番の目的ではありませんでした

鶴見にある総持寺の彼岸会に行って
帰り道の余興にと足をのばしてみたのです

境内には彼岸花、萩の花が咲いて歓迎してくれ
大祖堂では大勢の若い僧たちがおごそかに
観音経を読経しています

南無(なーむ)


2014年09月23日

596fd9ef.jpg「 秋の蝿蝿たたき皆破れたり
  病室や窓あたたかに秋の蝿
    草木(そうもく)国土悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)
  糸瓜さへ仏になるぞ後るるな
  成仏や夕顔の顔へちまの屁 」
     (『仰臥漫録』 正岡子規 65~66頁 )


私の鞄の中にはいつも何冊かの本があります

正岡子規の

『仰臥漫録』(角川ソフィア文庫)

は最近ずっと携えている本のひとつ
子規が描いた絵も色刷りで掲載されています


お彼岸だからこの時期の子規の文章を
拾い読みしようかとひもといてみたら
結局全編を読む返すことになってしまいました

『病牀六尺』も名著ですが『仰臥漫録』には
丸裸になった子規の姿が見えてきます

想像を絶する激痛に号泣する子規あり、
猛烈な大食漢の子規あり、
動けぬ床からの子規の自然観察あり、
絵心ある子規の写生あり、
かなわぬ自死への衝動あり、

ここには迫りくる死を前にした子規の
悲痛な叫びと生とは一体何なのかへの
のっぴきならぬ問いかけがあります

彼岸の入りの時期(9月19日)に34歳で
他界した子規の姿を思い浮かべながら
今年の彼岸は人生を見つめなおし
省みる機会となりました

「 お萩くばる彼岸の使行き逢ひぬ
梨腹も牡丹餅腹も彼岸かな
餅の名や秋の彼岸は萩にこそ
西へまはる秋の日影や糸瓜棚 」
    ( 同書 73頁より )

南無(なーむ)


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2014年09月22日

cdfb4654.jpg昨年のことだったでしょうか?
強風のなか修善寺の奥の院(正覚寺)まで
自転車で行ったことがありました

幸運にも、
お堂に祀ってある空海(弘法大師)の
純粋無垢で聡明な若き日の空海の像を
拝顔することが出来ました

ちょうどその場所で、
仏像を彫るのが楽しみで集って仏師について
習っている熱心な人達にも遭遇しました

仏像を彫っているだけで人は穏やかな顔に
なるものだなと感心した思い出があります

さて
今回はでんぐ熱で一躍有名になった
代々木公園で開催中のさるイベント会場で
じゃがいもに墨で仏様を描いて紹介している
女性に会うことになりました

不思議なことにこの女性も仏様みたいに
まろやかで顔がキラキラと輝いています

一緒に仏様を描いて遊んでみませんか、
と彼女にすすめられましたが、
あいにく、聴きたい講演が始まる時間が
近づいていたので、気持ちだけを頂戴して
代わりに写真だけを写させてもらい
その場を去ることになりました

そのときは
何も考えてもいなかったのですが
家に帰って写真を見てふと気づいきました

そうだ、
仏様はじゃがいもに描かれる前から
じゃがいもに宿っておいでになっていた、

いや、
それどころか、じゃがいもだけでなく
至るところに仏様はおいでになるんだ

ということです

お彼岸だから、こんなことに気づいたのか
理由はともかく私は何だかとても
嬉しくなりました

南無(なーむ)


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2014年09月21日

56b91b11.jpg「 一面の星の下に、棟々(むねむね)が
  黒く列(なら)びました。
  その時童子はふと水の流れる音を
  聞かれました。そしてしばらく考えてから、
  (お父さん、水は夜でも流れるのですか。)
  とお尋ねです。

  須利耶さまは沙漠の向うから昇って来た
  大きな青い星を眺めながらお答えなされます。

  (水は夜でも流れるよ。水は夜でも昼でも、
  平らな所でさえなかったら、
  いつまでもいつまでも流れるのだ。)」

   (『雁の童子』宮沢賢治より )


お彼岸に入って快晴の天気に恵まれています
さて、彼岸は「仏道修行週間」でもあります

ということで仏教の心を秘めて作品を多く残した
宮沢賢治のあまり知られていない作品を
ひとつご紹介します

「雁の童子」

青空文庫にも掲載されている短編小説で
すぐに読み終わるほどの小品です

西域の砂漠を舞台にした物語は主人公が
出会った老巡礼に不思議な物語を聞く
という二重箱構造になっています

心ない須利耶の従兄弟の鉄砲で雁の群れが
殺され一人生き残った雁(雁の童子)が
須利耶夫婦に育てられ最後はまた天(そら)に
召されていくという物語
(竹取物語のような構成と言えばいいでしょうか)

冒頭に引用した文章は
老巡礼が語った物語のなかで
主人公の“雁の童子”と育ての親である
“須利耶”(すりや)が交わす会話です

このような問答が何故なされたか
不思議ですが深く考えさせられます

平らかでない娑婆世界ではいつまでも水は
流れるということ、
平らかな極楽では水は流れないということ
なのでしょうか?心惹かれるやりとりです

やがて、童子と須利耶の別れの日がやってきて
老巡礼の話も終わり主人公との別れもきます

老巡礼への主人公の次のような言葉で物語は
終わります

「 尊いお物語をありがとうございました。
  まことにお互い、ちょっと沙漠のへりの泉で、
  お眼にかかって、ただ一時を、
  一緒に過すごしただけではございますが、
  これもかりそめのことではないと存んじます。
  ほんの通りかかりの二人の旅人とは見えますが、
  実はお互がどんなものかもよくわからない
  のでございます。いずれはもろともに、
  善逝(スガタ)の示された光の道を進み、
  かの無上菩提(むじょうぼだい)に
  至ることでございます。
  それではお別れいたします。さようなら。」

独特な言葉遣い、謎かけがあって賢治の作品は
不思議な魅力がありますね

ちなみに今日9月21日は賢治の命日でもあります

南無(なーむ)



今日も一日
みんな
笑って
微笑んで