2014年08月
2014年08月31日
先週末、久しぶりに駒ヶ根を旅してきました
いつも通り、寶積山光前寺にも詣ります
今回は参拝者がまばらで境内はゆっくりと
散策することが出来ました
枝垂れ桜の時期もいいですが人気のない中を
ゆっくり過ごせる方が私の性にあっています
観光でしょうか、たまたまスリランカからの
家族連れが境内にいたので思い出に
家族全員の写真を写して差し上げました
参道の石垣に自生する光苔の輝きも
今回はしっかりと観察出来て大満足!
自然界はなんと美しい宝物をこのように
ひっそりと控えめにしかし見事に
用意してくれていることかとため息がでます
(小さな蜘蛛の美しい巣も発見しました!)
霊犬早太郎にも再会できたし、
樹齢700年と言われる三本杉も拝めたし
今回は霊水を頭から浴びてしっかり飲んで
私も“目覚め”て少しはまともになれるかも
知れません
コスモスの花も咲き始め駒ヶ根はもう秋です
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
2014年08月30日
今までの自分の暮らしを見なおして
これからの生き方を変えていこうと
模索している若者と話す機会がありました
本好きな彼は持っていた書籍を売り払い、
こだわっていた衣類を整理して売り払い、
部屋にあるものも最低限必要なものだけを残し
ものを持たない暮らし
を実践していこうとしているようです
最終的にはトランク一個に全てを納めきって
身軽に軽やかに生けたら理想的でいいなと
彼は考えているようです
さすがに冷蔵庫だけはまだ捨てられない
と笑っていましたが面白い試みだと
一緒になって会話を楽しみました
ラマナ・マハリシというインドの神人が
その生涯をふんどし一本と水差しと杖だけで
過ごしていたことを私はこれを書きながら
ふと思い出します
考えてみれば、私たちの肉体は全て借り物で
出来てるわけで、遅かれ早かれいつかは
大地にお返しする日がきます
それならば必要でないものはのっけから借りず
身軽に軽やかに生きていけたらこれほど
愉快なことはないかも知れません
興味深い若者の試行錯誤の進捗状況を
またしばらくして聞いてみたいと思っています
今日も一日
みんな?
笑って
微笑んで
これからの生き方を変えていこうと
模索している若者と話す機会がありました
本好きな彼は持っていた書籍を売り払い、
こだわっていた衣類を整理して売り払い、
部屋にあるものも最低限必要なものだけを残し
ものを持たない暮らし
を実践していこうとしているようです
最終的にはトランク一個に全てを納めきって
身軽に軽やかに生けたら理想的でいいなと
彼は考えているようです
さすがに冷蔵庫だけはまだ捨てられない
と笑っていましたが面白い試みだと
一緒になって会話を楽しみました
ラマナ・マハリシというインドの神人が
その生涯をふんどし一本と水差しと杖だけで
過ごしていたことを私はこれを書きながら
ふと思い出します
考えてみれば、私たちの肉体は全て借り物で
出来てるわけで、遅かれ早かれいつかは
大地にお返しする日がきます
それならば必要でないものはのっけから借りず
身軽に軽やかに生きていけたらこれほど
愉快なことはないかも知れません
興味深い若者の試行錯誤の進捗状況を
またしばらくして聞いてみたいと思っています
今日も一日
みんな?
笑って
微笑んで
2014年08月29日
「 盗人(ぬすびと)に
とり残されし
窓の月 」
( 良寛 )
良寛は生涯に何度も泥棒に押し入られたと
よき理解者だった解良栄重は語っています
なかでも寝ているときに入ってきた泥棒の話が
とても面白い
良寛の貧乏暮らしを知らず入ってきた
間抜けな(?)泥棒、盗むものが見つからず
寝ている良寛の布団を剥いでいこうとすると、
良寛は泥棒が取りやすいよう寝返りをうった
というのです
そのときに詠んだのが冒頭の句のようですが
私はこの良寛の対応とこの句が好きです
前置きが長くなりましたが本題に入ります
良寛ほどの貧乏暮らしはしてないので
布団の一式くらいは私も持っておりますが
布団に包まって寝るよりも板張りで
そのままじかに寝るのが気に入っています
特に夏の暑い時期はひんやりとする板張りが
なんとも心地よく病みつきになっています
健康にいいのかどうか知りませんでしたが
西勝造という先生が開発したという
「西式健康法」
なる健康法があって、そのなかに
平らな板の床に寝る(平床)
というのが挙げられているを発見しました
これを知ってわが意を得たり、
私は大変愉快になったのであります
それでは今夜も板床で安眠することにしますか
おやすみなさい
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
余録:
西式健康法では「六大法則」が提唱されていて
次のものから構成されています
1 平らな板の床に寝る(平床)
2 木の枕(硬枕)を用いる
3 金魚運動
4 毛管運動
5 合掌合せき法
6 背腹運動
他の五つも試してみようかなと思っています
とり残されし
窓の月 」
( 良寛 )
良寛は生涯に何度も泥棒に押し入られたと
よき理解者だった解良栄重は語っています
なかでも寝ているときに入ってきた泥棒の話が
とても面白い
良寛の貧乏暮らしを知らず入ってきた
間抜けな(?)泥棒、盗むものが見つからず
寝ている良寛の布団を剥いでいこうとすると、
良寛は泥棒が取りやすいよう寝返りをうった
というのです
そのときに詠んだのが冒頭の句のようですが
私はこの良寛の対応とこの句が好きです
前置きが長くなりましたが本題に入ります
良寛ほどの貧乏暮らしはしてないので
布団の一式くらいは私も持っておりますが
布団に包まって寝るよりも板張りで
そのままじかに寝るのが気に入っています
特に夏の暑い時期はひんやりとする板張りが
なんとも心地よく病みつきになっています
健康にいいのかどうか知りませんでしたが
西勝造という先生が開発したという
「西式健康法」
なる健康法があって、そのなかに
平らな板の床に寝る(平床)
というのが挙げられているを発見しました
これを知ってわが意を得たり、
私は大変愉快になったのであります
それでは今夜も板床で安眠することにしますか
おやすみなさい
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
余録:
西式健康法では「六大法則」が提唱されていて
次のものから構成されています
1 平らな板の床に寝る(平床)
2 木の枕(硬枕)を用いる
3 金魚運動
4 毛管運動
5 合掌合せき法
6 背腹運動
他の五つも試してみようかなと思っています
2014年08月28日
一度は行ってみたかったラーメン屋で
一度は食べてみたかった油そばを食べてきました
JR武蔵境駅を降りて
私の短い足で歩いてしっかり十分以上
すっかり住宅街のなかに入り込んだところに
目立たずなんの変哲もない普通のラーメン屋が
立っていて、それが私がお目当ての
「珍々亭」
でした 遠くから見ると開店しているのか
どうなのか分からず不安になる店でしたが
店内にはたくさんのお客さんがいてひと安心
席に案内されて座ってメニューを確かめて
「油そば」(650円)
とネギを注文!まもなくやってきた丼には
チャーシュー
メンマ
ナルト
多めのネギ
が乗っていて太麺もかなりの量です
おばちゃんに教えてもらった通り、丼の底にある
汁をしっかり麺と混ぜ合わせて食べましたが
素朴で懐かしい味の油そばで美味なり!
味も良かったけれど何よりも店のおじちゃん
おばちゃんの対応が親しみやすくて自然で
とても気に入ってしまいました
ちょっと遠いけれども私にとってはまた
訪れたい店のひとつに加わりました
ご馳走さま!
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
一度は食べてみたかった油そばを食べてきました
JR武蔵境駅を降りて
私の短い足で歩いてしっかり十分以上
すっかり住宅街のなかに入り込んだところに
目立たずなんの変哲もない普通のラーメン屋が
立っていて、それが私がお目当ての
「珍々亭」
でした 遠くから見ると開店しているのか
どうなのか分からず不安になる店でしたが
店内にはたくさんのお客さんがいてひと安心
席に案内されて座ってメニューを確かめて
「油そば」(650円)
とネギを注文!まもなくやってきた丼には
チャーシュー
メンマ
ナルト
多めのネギ
が乗っていて太麺もかなりの量です
おばちゃんに教えてもらった通り、丼の底にある
汁をしっかり麺と混ぜ合わせて食べましたが
素朴で懐かしい味の油そばで美味なり!
味も良かったけれど何よりも店のおじちゃん
おばちゃんの対応が親しみやすくて自然で
とても気に入ってしまいました
ちょっと遠いけれども私にとってはまた
訪れたい店のひとつに加わりました
ご馳走さま!
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
2014年08月27日
米倉斉加年さんが亡くなった
というニュースが報道されていました
米倉さんといえば、珍しく私が好きになり
毎日欠かさず見ていた朝の連続テレビ小説
「ちりとてちん」
で主人公の祖父の役で楽しませてくれたのが
新鮮な記憶として残っていました
いつだったか、「徹子の部屋」に出演したとき、
長年舞台で共演した森光子さんのことを
ほめちぎってばかりで自分のことは
何ひとつ語ろうとしなかったのが印象的でした
人は、
自らを語ることがなくても、他人(ひと)を
語っていても、何を話していても、自ずと
人柄がにじみ出てくるものだとそのとき
強い感銘を覚えたものです
米倉さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます
合掌
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
追記:
米倉さんは
俳優として名脇役だったにとどまらず、
絵筆もとる絵本作家でもありました
『おとなになれなかった弟たち・・・・・・』
は太平洋戦争中、赤ん坊だった弟ヒロユキさんの
ミルクをひもじさのあまり盗んで飲んでいた筆者が
栄養失調で死ぬに至った弟への鎮魂の想いを
込めて作った作品です
今ごろ米倉さんは弟のヒロユキさんと
再会を果たしていることだろうと思います
作品から少しばかり抜粋引用しておきます
。。。弟は生まれてまもないのですが、
いつも泣かないでひとりでおとなしく
ねていました。。。
弟のヒロユキには、母のおチチが
食べものです。母はじぶんが
食べないので、おチチがでなくなりました。。。
ときどき配給がありました。ミルクが一かん、
それがヒロユキのたいせつなたいせつな
食べものでした。。。
ぼくはかくれて、ヒロユキのたいせつ
なミルクをぬすみ飲みしてしまいました。。。
ぼくにはそれがどんなに悪いことか、
よくわかっていたのです。
でもぼくは飲んでしまったのです。。。
ヒロユキをおんぶして、ぼくはよく川へ
遊びにでかけました。。。
ヒロユキは病気になりました。。。。
十日間くらい入院したでしょうか。。。
ヒロユキは死にました。。。
暗い電気のしたで、小さな口に
綿をふくませた水を飲ませた夜を、
ぼくはわすれられません。
泣きもせず、弟はしずかに息とりました。。。
というニュースが報道されていました
米倉さんといえば、珍しく私が好きになり
毎日欠かさず見ていた朝の連続テレビ小説
「ちりとてちん」
で主人公の祖父の役で楽しませてくれたのが
新鮮な記憶として残っていました
いつだったか、「徹子の部屋」に出演したとき、
長年舞台で共演した森光子さんのことを
ほめちぎってばかりで自分のことは
何ひとつ語ろうとしなかったのが印象的でした
人は、
自らを語ることがなくても、他人(ひと)を
語っていても、何を話していても、自ずと
人柄がにじみ出てくるものだとそのとき
強い感銘を覚えたものです
米倉さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます
合掌
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
追記:
米倉さんは
俳優として名脇役だったにとどまらず、
絵筆もとる絵本作家でもありました
『おとなになれなかった弟たち・・・・・・』
は太平洋戦争中、赤ん坊だった弟ヒロユキさんの
ミルクをひもじさのあまり盗んで飲んでいた筆者が
栄養失調で死ぬに至った弟への鎮魂の想いを
込めて作った作品です
今ごろ米倉さんは弟のヒロユキさんと
再会を果たしていることだろうと思います
作品から少しばかり抜粋引用しておきます
。。。弟は生まれてまもないのですが、
いつも泣かないでひとりでおとなしく
ねていました。。。
弟のヒロユキには、母のおチチが
食べものです。母はじぶんが
食べないので、おチチがでなくなりました。。。
ときどき配給がありました。ミルクが一かん、
それがヒロユキのたいせつなたいせつな
食べものでした。。。
ぼくはかくれて、ヒロユキのたいせつ
なミルクをぬすみ飲みしてしまいました。。。
ぼくにはそれがどんなに悪いことか、
よくわかっていたのです。
でもぼくは飲んでしまったのです。。。
ヒロユキをおんぶして、ぼくはよく川へ
遊びにでかけました。。。
ヒロユキは病気になりました。。。。
十日間くらい入院したでしょうか。。。
ヒロユキは死にました。。。
暗い電気のしたで、小さな口に
綿をふくませた水を飲ませた夜を、
ぼくはわすれられません。
泣きもせず、弟はしずかに息とりました。。。