2014年05月
2014年05月31日
むかし読んだ伊丹十三の本に
こんな内容の文章があった記憶があります
幼い十三が野原ではじめて見かけた花に興奮し
まだ誰も知らない新発見の花だと大喜びで
家に戻って急いで図鑑をひろげて確かめた
というものです
この季節にぶらぶら散歩をしていると
華やかに咲く花、目立たずに咲く花、
大小さまざまの花を数多く見かけます
近づいて観察したり香りを嗅いだりしながら
うっとりとしていることができる時間ほど
我を忘れさせてくれる時は他にありません
華やかな花のそばには萎んで枯れて散っていく
準備を始めているものもあります
未来の花のため土に戻って養分となるのでしょう
うっとりするのは花だけではありません
自分の身のまわりを少し丁寧に眺めてみたら
名前も知らない美しい命の存在が数多あって
命(いのち)がいのちしながら輝いているのが
見えてきます
名前なんか知らなくても図鑑で調べなくても
造化の妙の前でため息をついて眺めるだけで
充分だということに気づかされます
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
2014年05月30日
急ぎの用があるときちょいと腹に入れるなら
私は立ち食い蕎麦(うどん)に決めています
安くて早くてそこそこの味の立ち食い蕎麦屋は
庶民の味方、ときどき使っては重宝しています
その蕎麦(うどん)といえばすぐ思いつくのが
落語の「時そば」(関西では「時うどん」)
何度聴いてもほのぼのして笑ってしまう噺です
でも噺に出てくる「九つ」「四つ」という時刻が
何時なのかあまり知られてない気がします
「九つ」は今でいう真夜中の12時頃
「四つ」は夜の10時頃のことです
真夜中の「九つ」に始まり約二時間ごとに
「八つ」「七つ」「六つ」「五つ」「四つ」となり
また真昼の「九つ」から同じように続きます
(何故こんなにややこしそうなのか説明は省略)
現代とは違って日出から日没を六等分して
時刻を決めていたので季節ごと昼夜の時間が
伸びたり縮んだりしていたのです
でもお天道様の出入りに合わせて暮らしが
営まれ二時間ごとの寺の鐘が時計代わりで
何の支障もなかった時代は実におおらかです
腕時計を持たない暮らしを私もずっと
続けていますが、およその時刻で動いていた
時代が懐かしくて仕方ありません
さあて、急ぎ二八の蕎麦をたぐって、
これから野暮用に走ります
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
私は立ち食い蕎麦(うどん)に決めています
安くて早くてそこそこの味の立ち食い蕎麦屋は
庶民の味方、ときどき使っては重宝しています
その蕎麦(うどん)といえばすぐ思いつくのが
落語の「時そば」(関西では「時うどん」)
何度聴いてもほのぼのして笑ってしまう噺です
でも噺に出てくる「九つ」「四つ」という時刻が
何時なのかあまり知られてない気がします
「九つ」は今でいう真夜中の12時頃
「四つ」は夜の10時頃のことです
真夜中の「九つ」に始まり約二時間ごとに
「八つ」「七つ」「六つ」「五つ」「四つ」となり
また真昼の「九つ」から同じように続きます
(何故こんなにややこしそうなのか説明は省略)
現代とは違って日出から日没を六等分して
時刻を決めていたので季節ごと昼夜の時間が
伸びたり縮んだりしていたのです
でもお天道様の出入りに合わせて暮らしが
営まれ二時間ごとの寺の鐘が時計代わりで
何の支障もなかった時代は実におおらかです
腕時計を持たない暮らしを私もずっと
続けていますが、およその時刻で動いていた
時代が懐かしくて仕方ありません
さあて、急ぎ二八の蕎麦をたぐって、
これから野暮用に走ります
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
2014年05月29日
電車で移動中、座って本を読んでいたら
男女十人ほどの児童達が乗車してきました
制服姿の電車通学の子ども達は礼儀正しくて
なんだか車内がパッと明るくなった雰囲気で
私は読書を中断、彼らを観察することにしました
男の子と女の子は別々に分かれていますが
お互いに気になってちょっかいを出しながら
何やらとても楽しそうです
尋ねてみると四年生だとのこと、子供の表情は
それぞれ異なりそれぞれが活き活きとしています
空いた座席に座って本を読み出す子がいたり
泣き笑いしてからかわれる子がいたり
カバンにつけた金平糖の飾りを見せ合ったり
仲間に入りたくなった私は戯れに
「金平糖の角はどうして出来るか知ってる?」
と問いかけてみました、すると恥ずかしそうに
「分かりません」という返事が返ってきます
「大人も偉い先生もまだ分からない謎らしいよ、
今度理科の先生に質問してごらん」
と私はつい“宿題”まで出してしまいました
車内での楽しい十分間のご報告です
今日も一日
みんな?
笑って
微笑んで
追記:
写真はオルレアの花です
大小異なる真っ白な花弁からなる花冠が集まると
レースのように見えるので英語名では
ホワイトレースフラワーと呼ばれています
電車の中で出会った純粋な児童たちみたいです
男女十人ほどの児童達が乗車してきました
制服姿の電車通学の子ども達は礼儀正しくて
なんだか車内がパッと明るくなった雰囲気で
私は読書を中断、彼らを観察することにしました
男の子と女の子は別々に分かれていますが
お互いに気になってちょっかいを出しながら
何やらとても楽しそうです
尋ねてみると四年生だとのこと、子供の表情は
それぞれ異なりそれぞれが活き活きとしています
空いた座席に座って本を読み出す子がいたり
泣き笑いしてからかわれる子がいたり
カバンにつけた金平糖の飾りを見せ合ったり
仲間に入りたくなった私は戯れに
「金平糖の角はどうして出来るか知ってる?」
と問いかけてみました、すると恥ずかしそうに
「分かりません」という返事が返ってきます
「大人も偉い先生もまだ分からない謎らしいよ、
今度理科の先生に質問してごらん」
と私はつい“宿題”まで出してしまいました
車内での楽しい十分間のご報告です
今日も一日
みんな?
笑って
微笑んで
追記:
写真はオルレアの花です
大小異なる真っ白な花弁からなる花冠が集まると
レースのように見えるので英語名では
ホワイトレースフラワーと呼ばれています
電車の中で出会った純粋な児童たちみたいです
2014年05月28日
「 馬ぼくぼく
我を絵に見る
夏野かな 」
「 馬に寝て
残夢月遠し
茶の煙 」
(松尾芭蕉)
新宿の街を歩いていて
真っ赤な薔薇で型どられた馬を発見
台座もふくめ薔薇尽くしで見事でした
馬と言えば、つい最近、
還暦を過ぎて馬の彫刻家になった
84歳の西村修一さんの話を
聞く機会がありました
午年生れの西村さんは馬術を通じて
馬とともにずっと生きてこられた方です
「私の手が馬を知っている」
と馬に恩返しをしようと思い立った
異色の馬像彫刻家に興味深い話を
いろいろ聞きましたが、そのひとつ
「(馬の)一瞬前の動きを見たら次の動きがわかる」
という言葉が印象に残っています
見る人が見れば、
現在には過去も未来も凝縮して顕れている
ということでしょうか
ひとつのテーマを
永く見つめ深く掘り下げた人が
語る言葉から学び見倣いたいです
真っ赤な薔薇の馬を見て
来月馬事公苑で開かれる西村さんの
ギャラリーを訪ね美しい馬の姿と馬像を
見ながら西村さんと話がしたくなりました
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
我を絵に見る
夏野かな 」
「 馬に寝て
残夢月遠し
茶の煙 」
(松尾芭蕉)
新宿の街を歩いていて
真っ赤な薔薇で型どられた馬を発見
台座もふくめ薔薇尽くしで見事でした
馬と言えば、つい最近、
還暦を過ぎて馬の彫刻家になった
84歳の西村修一さんの話を
聞く機会がありました
午年生れの西村さんは馬術を通じて
馬とともにずっと生きてこられた方です
「私の手が馬を知っている」
と馬に恩返しをしようと思い立った
異色の馬像彫刻家に興味深い話を
いろいろ聞きましたが、そのひとつ
「(馬の)一瞬前の動きを見たら次の動きがわかる」
という言葉が印象に残っています
見る人が見れば、
現在には過去も未来も凝縮して顕れている
ということでしょうか
ひとつのテーマを
永く見つめ深く掘り下げた人が
語る言葉から学び見倣いたいです
真っ赤な薔薇の馬を見て
来月馬事公苑で開かれる西村さんの
ギャラリーを訪ね美しい馬の姿と馬像を
見ながら西村さんと話がしたくなりました
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
2014年05月27日
心地よい風にまじって
少し湿っぽいと思える風が
ときどき吹くように
なってきました
近所を散歩していると
紫陽花が今か今かと
自分の出番を
まちわびている様子が
目につきます
自然のいとなみ
四季の変化は
毎年数日の狂いなく
正確に起きるもので
それを眺めて
飽きることが
ありません
“水の器”
あじさいの出番は
もうすぐです
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
付録:
『森の紫陽花』(泉鏡花 )からの引用
「 日は茂れる中より暮れ初めて、
小暗(をぐら)きわたり蚊柱は
家なき處(ところ)に立てり。
袂すゞしき深みどりの
樹蔭(こかげ)を行く身には、
あはれ小さきものども
打群れてもの言ひかはすわと、
それも風情かな。
分けて見詰(みつ)むるばかり、
現(うつゝ)に見ゆるまで
美しきは紫陽花なり。
其の淺葱(あさぎ)なる、
淺みどりなる、薄き濃き紫なる、
中には紅淡き紅(べに)つけたる、
額といふとぞ。
夏は然ることながら
此の邊(あたり)分けて多し。
明るきより暗きに入る處(ところ)、
暗きより明きに出づる處、
石に添ひ、竹に添ひ、籬(まがき)に立ち、
戸に彳(たゝず)み、馬蘭(ばらん)の中の、
古井の傍(わき)に、
紫の俤(おもかげ)なきはあらず。
寂(じやく)たる森の中深く、
もう/\と牛の聲(こゑ)して、
沼とも覺(おぼ)しき泥の中に、
埒(らち)もこはれ/″\牛
養へる庭にさへ紫陽花の花盛なり 」
少し湿っぽいと思える風が
ときどき吹くように
なってきました
近所を散歩していると
紫陽花が今か今かと
自分の出番を
まちわびている様子が
目につきます
自然のいとなみ
四季の変化は
毎年数日の狂いなく
正確に起きるもので
それを眺めて
飽きることが
ありません
“水の器”
あじさいの出番は
もうすぐです
今日も一日
みんな
笑って
微笑んで
付録:
『森の紫陽花』(泉鏡花 )からの引用
「 日は茂れる中より暮れ初めて、
小暗(をぐら)きわたり蚊柱は
家なき處(ところ)に立てり。
袂すゞしき深みどりの
樹蔭(こかげ)を行く身には、
あはれ小さきものども
打群れてもの言ひかはすわと、
それも風情かな。
分けて見詰(みつ)むるばかり、
現(うつゝ)に見ゆるまで
美しきは紫陽花なり。
其の淺葱(あさぎ)なる、
淺みどりなる、薄き濃き紫なる、
中には紅淡き紅(べに)つけたる、
額といふとぞ。
夏は然ることながら
此の邊(あたり)分けて多し。
明るきより暗きに入る處(ところ)、
暗きより明きに出づる處、
石に添ひ、竹に添ひ、籬(まがき)に立ち、
戸に彳(たゝず)み、馬蘭(ばらん)の中の、
古井の傍(わき)に、
紫の俤(おもかげ)なきはあらず。
寂(じやく)たる森の中深く、
もう/\と牛の聲(こゑ)して、
沼とも覺(おぼ)しき泥の中に、
埒(らち)もこはれ/″\牛
養へる庭にさへ紫陽花の花盛なり 」