2014年01月

2014年01月31日

299fccd4.jpg旅先で昼飯を食べて店を出たすぐそばの黒壁にこんな不思議なものを発見しました

黄色地に「鮪魂」という文字があってその下に

「鯛で海老を釣る」

と揮毫された白紙が貼られています

白紙の左上には「伊豆絵空本舗」右上には「…豆絞小染…」左下には「vol.2」と小さな文字で書き記されていていました

どこの誰が誰に向けて何のためにこんな場所にこんな掲示をして遊んでいるのか是非知りたかったのですが。。。

皆目見当もつかぬままの帰宅とあいなりましたが、鯛の骨が喉に刺さって往生する海老になった気分で、気になって仕方ありません

どなたかこの謎が解けそうな方、お分かりの方はおいでにならないでしょうか?

それにしても

「鯛で海老を釣る」

という表現は洒落がきいていて私のお気に入りになってしまいました


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2014年01月30日

ca1e3bf3.jpg「 宿はづれを清らかな川が流れ、
  其処の橋から富士がよく見えた。
  沼津の自分の家からだと
  その前山の愛鷹山が
  富士の半ばを隠してゐるが、
  三島に来ると愛鷹はずっと左に寄って、
  富士のみがおほらかに仰がるるのであった。
  克明に晴れた朝空に、
  まったく眩いほどに その山の雪が輝いてゐた。」
     (「箱根と富士」若山牧水 )


修善寺への旅の帰り、少し時間に余裕があったので久しぶりに三島の駅を降りて散歩をしてきました

快晴の富士山を遠望し、せせらぎに水先案内をしてもらいながら「水辺の文学碑」をひとつひとつ読み返したり、三嶋大社に詣って巨木大樹に見入ったり。。。

帰り道、ちょっと気になって「三島コロッケ」うどんを駅の立ち食いそば屋で食べました( コロッケは三島で穫れた三島馬鈴薯を使っているそうな

後から入ってきた中国人二人連れが困っていたのでうどんとそばの違いを手ぶり身ぶりで教えてから、「大吉大利」(お幸せに)とカタコトで語りかけると通じたようでとても喜んでくれました

次回は桜家でゆっくりうなぎを食べたいなあ


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2014年01月29日

df8290a3.jpg餅が好きなので今のうちに寒い季節のうちにしっかり食べておきたいと思っています

最近ちょっとはまっているのが斗棒餅(とぼもち)という石川県の餅

黒豆餅、よもぎ餅、きび餅、あわ餅、それに普通の白餅があって、それぞれに食感も味わいも違いしっかりした歯ごたえのある餅で美味いのです

一斗の餅米をついて棒状にした餅を切って作ったからこんな名称なのかと思っていたら、さにあらず、斗棒(とぼう)という穀物を平らにする棒がこの餅の形に似ているからこう呼ばれるようになったそうです

確かに一斗の餅米で棒状の餅にしたら大変ですよね~

でも私が勝手に妄想した由来の方がなんだか気に入っているので人にはこのウソを教えることにしようと思っています


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2014年01月28日

ad8ba292.jpg「 頭のいい人には恋ができない
  恋は盲目である
  科学者になるには自然を恋人としなければならない
  自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである 」
     (「科学者とあたま」寺田寅彦)


色っぽい話を期待してご訪問下さった方には申し訳ございません?

漱石の弟子で科学者であった名随筆家寺田寅彦の文章です

科学と文学(理系と文系)がひとりの人間のなかに融合する人は数少なくなってしまいましたが寅彦はそんな一人でした

「天災は忘れた頃にやってくる」は寅彦の言葉ですし、金平糖の科学を語ったり、茶碗の湯から地球物理を語ったり、自然界の縞模様など寅彦は随筆に著しています

おおらかな好奇心、悠然と科学を愉しむ寅彦の姿伝わってきていいんです

その寅彦ワールドの門前の小僧という訳でもありませんが、一杯のビールを飲み干した後に残った模様を眺めて彼のことを思い出してしまいました

泡の跡の縞模様に象形文字が見えてきたり、豹の縞模様が思い浮かんだり、大海に浮かぶ島々の姿が見えてきたり

頭の悪い酒飲みにも科学に恋することは出来るのです


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2014年01月27日

fdede2ea.jpg「 他人が善い事をするのを見て
  本当に喜ぶならば
  その功徳は
  善い事をした人と同等である 」


山門の脇に伝道掲示板が立っているお寺をときどき見かけます

そこに揮毫(きごう)されている言葉に惹かれることがあります

この言葉もそのひとつ

そうだよな~、ホントにそうだよな~、意識することなく善い事が実行出来る自分でありたいと私も願っていますが、もしそれが叶わなくても善い事を実践する人を心から喜べるようでありたい

そう願って写メにおさめました

肉体的、精神的、経済的な様々な理由や、よんどころない個人的な事情があって自分で善い事が出来ないことがあっても、善い事をしている人を遠くから眺め、心の底から喜ぶ人はそれを実行している人と同等であるという言葉には深い真理がある

と共感を覚えました

人様にではなく私自身の学びと気づきの言葉としてここに記しておきます


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで