2011年04月

2011年04月30日

すこし愛して、なが~く愛して

サントリーレッドは呑んだことはないけれど大原麗子のTVコマーシャルが気に入っていました

何故かふと思い出しました 懐かしいなあ

田舎で農業を営んでいた叔父が早朝レッドやトリスを生でひっかけて田んぼに出かけるのを幼い頃に見て驚いた記憶があります

糸井重里のコピーは酒飲みへの穏やかな忠告として上手くできている でも私には役に立ちませんでした

何事につけ、ついハメをはずし度が過ぎる私たち対して柔らかな警告にもなっていて好きなコピーです



今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2011年04月29日

今回の大震災・津波で家も家財もすべて流された女性が庭に咲いたスイセンの花を見舞いに訪れた美智子様に差し上げたという報道を見ました

佐藤美紀子さんは花好きの方のようで庭に植えていたスイセンが何事もなかったように美しく咲いていたのを摘み避難所に持ってきていたようです

「花を見て元気づけられ頑張ります」と美智子様にスイセンの花を見せながら話をしたようで、そのスイセンを「いただけますか」と美智子様がおっしゃったのでしょうか?佐藤さんが差し上げていました

花好きのふたりがスイセンの花を通じて会話を交わし希望を語りあっている光景がじつに自然でよかった

心温まる会話が印象に残ります 東京に戻った美智子様がスイセンの花をしっかり携えてタラップを降りておいでになったのも忘れられません

スイセンは春の花であるとともに希望の象徴でもあります


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2011年04月28日

03bffbce.jpg私たちは坐る生活を捨てしまいました

テーブルに腰かける暮らしが普通になった私たち

長くスラッと伸びた若者の脚はそのおかげも多少ありそうです

代わりに私たちは昔の日本人にあった落ち着きをすっかり失ってしまいました

坐ることは心を鎮め、大地につながることでもあった気がします

ひと昔前までは電車に乗っていても椅子に正座して微笑むおばあさんの姿がありました もうそんな光景も見かけなくなりました

今わずかに残るのは法事で数分間だけする正座くらいでしょうか 寺で足を組んで坐禅をするときくらいでしょうか

坐ることは落ち着くだけではなく人間の存在感にも深くかかわっている気がして仕方がありません

背筋が伸びてどっしりと坐る人に私は心から憧れます


今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2011年04月27日

e31a3c37.jpg春になると考古学者の後について行って古代生物の発掘のお手伝いをします

人っこひとりいない竹林の中を分け入り恐竜タケノコザウルスの歯の化石を掘り起こすのです

不思議な化石で毎年春になると多く発見されます しかも出来るだけ朝早く探しに行くのがいいのです

取れたての化石は生でもOK!皮をむいて茹でると“竹かんむりの旬”を満喫出来ます

酒のあてにしたらもう最高

タケノコザウルス万歳

春万歳




今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


2011年04月26日

3c4c318a.jpg嫌いな人は嫌い 嫌いな人は見たくもない 嫌いな人は思い出したくもない


私たちにはそれぞれ苦手な人がいます 嫌いな人がいます 大嫌いな人がいます

でも嫌いな人は嫌いだからと言って世の中からいなくなることはありません 消えてしまうこともありません


「 世の中に存在するモノにはすべて存在する意味がある 」

こう私は信じています

みんなの嫌われモノのゴキブリであれ、自分の嫌いなモノであれ、社会の嫌われモノであれ、極悪人であれ、自然の猛威であれ、存在するモノにはすべて存在する積極的な意味があるのです きっと。。。


最も嫌いな(苦手な)人からも本気で学ぶ素直さを持っているか、私はときどき自分に問いかけます



今日も一日
みんな
笑って
微笑んで


追記:

文章とは関係ないですが、八重咲きのチューリップ、マウントタコマです